こんばんは。 カズです。
今日はジャンさんのお母さんの招待で
英語研修参加中のゆみちゃんと一緒にカトリックのミサに参加しました。
なんで日曜でもないのにミサがあるかというと
フィリピンではクリスマスまでの9日間、毎日ミサに通うと願いが叶うといわれているからです。
こっちの言葉ではsinbang gabiといいます。
※ちなみにクリスマスを祝うのはカトリックだけのようでプロテスタントやエホバを信仰する人はsinbang gabiには行かないそうです。
普通sinbang gabiは朝4時から行うらしいのですが
LOOBハウスの近くにある教会ではより多くの人に来てもらうために夜7時からにしているそうです。
そういうのもありなのか~。
それはそうと、教会はクリスマス仕様のイルミネーションで綺麗でした。
ぎらぎらしてるんじゃなくて、あったかい感じです。
そんな中
たくさんの人に混じって、聖歌を歌ったり話を聞いたり熱心にお祈りする人を目にすると
なんだか自分も静かな気持ちになります。
その人たちは常に自分より大きな存在を感じながら生きている。
というよりも生かされているという感覚を
ものすごく強く、でも当たり前に持っているんだろうなあ。
と毎回思います。
それから、何かを信じている人たちは
芯があって、内面がつよいというかしっかりしているような気がして
ちょっぴりうらやましく思ったりもします。
私はクリスチャンじゃないけど
これでも(笑)小さいときは神様を常に意識していた頃もありました。
「隠れて悪いことしても、隠れて良いことしても
神様はぜーんぶ見てるんだよ。机の下に隠れてても見えてるんだよ~」
て、仏教徒なのに母が言ってたから(笑)
「神さまって透視能力あるんだ!!」て本気ですごいと思いました。
それプラス、小さい頃住んでた場所は近所に神様が祭られている場所がたくさんあって
そこで遊んでいたからっていうのもあります。
二つの合わせ技です。
それがいつのまにかほとんど意識しなくなっていました…
でも今日、教会で、熱心に信じている人たちを目にして一瞬だけどあの感覚を思い出しました。
自分より大きな存在の所有する土地の敷地内で遊ばせてもらって
いつも心の中まで見透かされているようなあの感じ。
うーん。全然別の人みたいですね笑